著者:広田 浩二

3月29日から4月3日の日程でインドネシアアチェに行ってきました。スタッフとの意見交換や子供たちの授業見学、子供たちとの話などアチェでの4日間を日記形式で綴りました。東日本大震災に対するアチェの人々の深い思いが心に伝わる4日間になりました。アチェの皆さんありがとうございます。

2011年4月3日

インチョン発関空行きのKALの乗客率が約35%だった。これまではほぼ満席に近い乗客率だったのが大きな変化があった。インチョン空港でトランジットに向かう通路に放射能測定所の案内が有った。原発の問題と震災による電力、自粛状況が大きく影響している。イミグレーションでの外国人の人数が極端に少なかった。関西での経済活動の活性化は急ぐべきではないかと思わされた。

自宅に戻って宮下から鏡野町の町長と連絡が取れた旨の連絡があった。アチェでの日本の震災へのメッセージの件や提携町の鏡石町を通じた被災地の状況把握の依頼を明日行うとの事だった。5日から被災地に行く事は決定した。参加者の日程上の都合で8名が3台の車で行くことになってしまった。このような非効率を無くし計画立った行動をとることを今後は目指すが、まず現地の状況をしっかり把握し今後の活動を考えることを今回は優先した。二人の鍼灸師と一人のマッサージ師は避難所の方々のボディーケアにあたり、残りの男性陣は被災地内での配送に関する協力と実態調査を分担して行う予定だ。

2011年4月1日

今日は午前中を宮下の観光に充てた。海、山、滝、港と足早に周った。昼ご飯は若者向けのレストランにて4人で850円と云う麺料理の店だった。二人は麺のみで(私もその一人)二人は定食風の食べ物。ドリンクを5本飲みこの値段だった。安くてもおいしいのがアチェの良いところだ。金曜日は特別礼拝の日なので12時から14時はお祈りのため人の動きは大きく制限される。が、食堂で昼食を食べたのは12時過ぎから13時だった。

その後スタッフのお祈りのためホテルに戻り日本の情報を確認する。ネット環境が整っていれば遠くに居ても情報は得られるので嬉しい。14時半から新規奨学金支給予定者との面談をLCO事務所で行った。KSに行く必要があったので予定では各家庭を回るところ事務所に来て頂いた。21名の子供たちとその保護者の約40名の人が集まっていた。面談を全体で行ったが当然時間はかかる。かわいい子供達を前にしてこの子たちの力になりたいと云う思いが自然に湧きあがってくる。子供たちの将来の夢は医者、軍人、警察官、先生中心だった。アチェでは高校生まで授業料と本代は無料なので生活環境さえ整えば本人の努力次第で夢に向かっていけるのだ。みんな頑張れよと心の中で呟いた。

4時半近くにKSに行きメッセージ横断幕作成を見た。4枚の横断幕を作ると聞いていたが1枚作って印刷するものと思っていたが写真とメインのメッセージ以外の各人のメッセージはそれぞれに手書きで書いていた。彼らの思いを改めて確認できた。作成終了後、写真撮影を行い彼らにお礼とメッセージを述べ必ず被災地に届ける約束をした。彼らの心を被災地に届けることは来週の東北での重要なミッションになった。

6時から日本語オリンピックインアチェの入賞者(中学生部門1位、2位、高校生部門3位)と日本語検定合格者(5級ではあるが)2名のお祝いの会を開いた。日本語オリンピック入賞者へは小学生高学年用の国語辞典を送り、日本語検定合格者には消せるボールペンを送った。子供達は非常に喜んでくれたと思う(贈り物にでは無くお祝い会の開催に)が、今後のさらなる勉強も約束してくれた。日本語検定合格者の二人は高校2年生で日本への留学を希望している。KSの先生に日本の公的な奨学金制度等の情報を聞いていたそうだ。公的、私的支援の情報を日本に戻って再度調べなければいけない。

今回のアチェ訪問は日本での災害が直近に遭った事と3日間の日程で慌ただしいものとなったが、得るもの、再確認した事、これまで不足していた事を学ぶ事が出来有意義であった。同行の宮下からも様々な協力を約束して貰い力付けられるものであった。
今日は午前中を宮下の観光に充てた。海、山、滝、港と足早に周った。昼ご飯は若者向けのレストランにて4人で850円と云う麺料理の店だった。二人は麺のみで(私もその一人)二人は定食風の食べ物。ドリンクを5本飲みこの値段だった。安くてもおいしいのがアチェの良いところだ。金曜日は特別礼拝の日なので12時から14時はお祈りのため人の動きは大きく制限される。が、食堂で昼食を食べたのは12時過ぎから13時だった。
その後スタッフのお祈りのためホテルに戻り日本の情報を確認する。ネット環境が整っていれば遠くに居ても情報は得られるので嬉しい。14時半から新規奨学金支給予定者との面談をLCO事務所で行った。KSに行く必要があったので予定では各家庭を回るところ事務所に来て頂いた。21名の子供たちとその保護者の約40名の人が集まっていた。面談を全体で行ったが当然時間はかかる。かわいい子供達を前にしてこの子たちの力になりたいと云う思いが自然に湧きあがってくる。子供たちの将来の夢は医者、軍人、警察官、先生中心だった。アチェでは高校生まで授業料と本代は無料なので生活環境さえ整えば本人の努力次第で夢に向かっていけるのだ。みんな頑張れよと心の中で呟いた。

4時半近くにKSに行きメッセージ横断幕作成を見た。4枚の横断幕を作ると聞いていたが1枚作って印刷するものと思っていたが写真とメインのメッセージ以外の各人のメッセージはそれぞれに手書きで書いていた。彼らの思いを改めて確認できた。作成終了後、写真撮影を行い彼らにお礼とメッセージを述べ必ず被災地に届ける約束をした。彼らの心を被災地に届けることは来週の東北での重要なミッションになった。
6時から日本語オリンピックインアチェの入賞者(中学生部門1位、2位、高校生部門3位)と日本語検定合格者(5級ではあるが)2名のお祝いの会を開いた。日本語オリンピック入賞者へは小学生高学年用の国語辞典を送り、日本語検定合格者には消せるボールペンを送った。子供達は非常に喜んでくれたと思う(贈り物にでは無くお祝い会の開催に)が、今後のさらなる勉強も約束してくれた。日本語検定合格者の二人は高校2年生で日本への留学を希望している。KSの先生に日本の公的な奨学金制度等の情報を聞いていたそうだ。公 的、私的支援の情報を日本に戻って再度調べなければいけない。
今回のアチェ訪問は日本での災害が直近に遭った事と3日間の日程で慌ただしいものとなったが、得るもの、再確認した事、これまで不足していた事を学ぶ事が出来有意義であった。同行の宮下からも様々な協力を約束して貰い力付けられるものであった。

2011年3月31日

今日は8時にホテルに集合しLCOの事務所に向かう。9時からLCOスタッフとのミーティングを行う。3月の各報告を受けたが、2月に行われた日本語オリンピックアチェに於いて中学生の部で1位、2位を獲得し高校生の部で3位を獲得した子供たちは3月2、3日に行われたアチェ日本語文化祭に於いて表彰を受け、賞品を獲得した。その文化祭にはメダンの日本領事館から領事も参加しており、多くの人からの祝福を受けた。日頃の成果の顕れであり、今後の取組に勇気を与えて貰った。

晃月スクールでは7月のインドネシアの学校の入学時期に合わせ新規募集を行っている。4月30日までを募集期間としているが現時点で61人の応募が有った。内訳は英語コースに40人、日本語コースに21人。スクールとしては英語で40名、日本語で35名の新入学生の受け入れを考えており、各コースとも試験期間を設け出席率による選考を行う予定で、英語コースでは選考試験も行う。クラス編成の状況からそれ以上の受け入れが困難であることによる。尚、英語コースは各20名のコースに分け新規クラスを2つ作る予定にしている。また、大学生からの入学希望が18名あり、既存クラスでの学習を条件に受け入れる方向で調整中。大学生の受け入れは今後の活動にボランティアとして協力するスタッフ獲得に繋げる事を考えている。各人の専門課程を活かした取り組みや子供たちへの様々な指導や助言、イベントなどの企画実行等に関わる事を期待している。さらに大学との連携も視野に入れた取り組みを考えたい。具体的な取組に関しては今後、検討と計画策定を行う事をKSの先生と伴に行うよう話した。

JGAに関しては新規の支給予定者80名の名簿作成が終わり最終的な方針確認後7月からスタートすべく進めている。幼稚園8名、小学生33名、中学生28名、高校生11名の計80名だ。それぞれ7月から進級する。午後からと明日、この名簿のメンバーの子供たち20数名と会う予定になっている。

その他の事項としてブカンバダ中学校の生徒たちが千羽鶴を日本の被災者のために折ってくれたとの事で日本に帰る時に持って帰り被災地の避難所に届けることを約束した。アチェの人々は今回の日本の地震や津波の映像を見て6年前の自分たちを襲った津波を昨日の事の様に思い出し多くの人が涙したそうだ。彼らの心を現地に届けたい。
11時から晃月スクールの先生達とのミーティングを行った。英語のクラスでレベル1のクラスでA 5人、B 3人生徒数が減少した。しかし、Aクラスの5人は規定による3回の無断欠席で止めることになったがもう一度参加したい意向が有り、次回の新入生入学時の復学を認める予定。Bクラスの3人はそれぞれメダンへの引っ越し、学校行事やクラブ等による時間的制約によるもの、進学テストの勉強によるものとの理由による。日本語クラスは人数の変更は無いものの、レベル4は全員が高校3年生で卒業試験と受験により4月より休講となる。英語クラスの生徒の一人が経済的な理由でKSへの参加を強く望むが参加が困難であるとの事で相談があった。まじめで勉強のできる子でもあり何とか出来ないか?との相談に対し、先生達のカンパ(月約1,200円)で出来ないかとの問いかけに対し全員が間髪いれずイエスの返事であった。先生達の思いを再確認できた。
5月の新入学生の試験期間と7月からの新学年スタートからクラスの増加となる。現状の週3回各2時間では消化できないので授業開催時間延長若しくは授業開催日の増加によりクラス増加をして進めることを確認した。日本語コースは現在行っている授業の継続で進める。

最後に0.8m×1.6mの日本頑張れメッセージ入り横断幕を作成する内容を確認。KS生徒たちの写真を載せ生徒たちのメッセージを周囲にちりばめる内容で日本語訳も一部あるものにするとのことだ。4枚作製するそうで、当然これは彼らの自発的行為によるものだ。これも先の千羽鶴と一緒に預かり被災地に届ける。間に合えば良いのだが。これとは別にサラ先生がフェイスブックに載せた生徒たちからのメッセージの入った写真が友達を通じて東北のWebサイトに載っていたそうだ。
また、LCOで話した大学生の活用について話をした。先生達がKSの全体像を考え将来を見据えた計画を策定し、協力者を募り進めて行くことをお願いした。

ここまで日記形式よりは議事録的になってしまったので後は変更する。
ミーティング終了後は新規の奨学金支給予定者の訪問を行った。一軒目の家では近くの支給予定の子供達も集まってもらい、7人と面談した。昨日の孤児院の院長からは孤児に津波の時の話を聞いても良いと聞いていたので日本の津波に関してどう思うか聞いてみたがそれまでの和やかな雰囲気から一変してしまった。すぐに話題を変えたが孤児院では心のケアが進められているが一般の家庭では当然そうではない事にその時になって気づいた。子供たちに嫌な思いをさせてしまった。当然その7人は孤児なのだから。
その家を後にしてもう一軒、1名と面談した。
その後は夕食を摂りホテルに戻った。昨日の水谷さんの件やKSの募集への大学生の反応など活動を継続する事によってLCOやKSの認知が広がりつつあるようだ。これからの活動の展開に勇気を与えて貰える今回の訪問だ。明日はJGA新規支給予定者への訪問、面談と日本語オリンピック入賞者、日本語検定合格者へのお祝いの会を行う予定になっている。

2011年3月30日

AM8:35発のライオンエアーでアチェに向かう。11:05にアチェ到着。いつもながら暑い。銀行で両替後ホテルにチェックインし昼食をシーフードレストランで摂り(めちゃくちゃうまかった)新しい事務所に行く。充分な広さを持ち授業を行うこともできるので今後の活動拠点として現状では申し分無いと言える。LCOのスタッフは全員事務所で執務中だった。

この日は日本のフリー映像ディレクターの水谷氏とカメラマンの平野氏が晃月スクールの取材をすると云う事で事務に訪ねてきた。突然のオファーだったとのことで昨日聞いたのだが、日本での震災時にベトナムに居た彼らは日本に戻らず津波の関連でアチェに取材に来たそうだ。日本語オリンピックの取材で面識のあったオジ君へ色々なオファーが有りこの日の訪問となった様で、アチェでの取材を日本のメディアを通じて放送する事と2、3カ月後に被災地の子供たちとアチェの子供たちをスカイプかUストリームで繋いで対話する事を考えているそうだ。アチェでの取材にはアチェの人々からの様々なメッセージも含めるとの事でKSの取材を行うことになった。

事務所での話の後、一緒にブカンバダ第1中学校に行きKSの授業を見た。水谷氏らは主に日本語のクラスの取材と生徒たちからの様々な質問(震災以外も)を受けた後2名の生徒のインタビューを行っていた。その間私は宮下が英語のクラスで地震に関する話を含めた生徒たちとのやり取りを見学したり、日本語クラスの見学をした。金曜日(明後日)には各クラスで私から日本の震災に関する話をする予定だ(今日は一時間目の授業には出れなかった)。

KS終了後水谷氏らの取材先に同行した。そこは38名の男子のみの孤児が居る孤児院だ。スタッフは12名で全員が独身の女性との事でそのうち5名はその孤児院に住み込んでいるそうだ。マレーシアからの支援で成り立っているその孤児院は各自の力をつけようと努力していると院長は話していた。また孤児院のスケジュールは朝4時半から夜10時までびっしりと詰める事で(この中には遊びなどの時間も有る)負の考えを少なくすることを狙っているとの事だった。

日本での被災者支援への助言として「My Wayにならず専門性を持った人たちと議論して方向性を決定し実行する事が重要」と言っていた。孤児院を出てホテルに戻り宮下と二人で近くのミゴレン屋に行って夕食を食べ周辺の散策に出た。9時半を過ぎていたが多くの人たちで活気がある。怖さは感じなかった。オジは水谷さん達の編集の手伝いに彼らのホテルに行って頑張っていた。

2011年3月29日

AM 9:30発のKALで仁川へ4時間のトランジット待ちでジャカルタに現地時間PM8:30に到着9時過ぎにエアポートホテルに入った。初めてこのホテルを使用したが移動無く翌日のアチェ行きを行えるので非常に便利だ。
この日は同行の宮下とオジ君、私の3人で今回の訪問に関するミーティングを12時近くまで行った。宮下は彼の地元の農家に今回のアチェ行きを伝え彼らが興味を示している旨を伝えてくれた。オジ君は元来農業の研修を日本で行うほど農業に興味を持っておりどのように話が展開するのか今後の動向が重要になりそうだ。アチェでの産業、雇用、協力者獲得に広がる案件だ。

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