PAC通信 vol.20

絆

福島県相馬市 東日本大震災活動報告

相馬市訪問レポート

レポート報告 宮下健一
6月9日~10日の2日間、相馬市にて活動を行いました。9日(土)は毎回の訪問先である大野台第2仮設住宅にて、ボディーワーク・鍼灸整体の施術を36名の方々に受けて頂きました。ここは「ホテルみなとや」の若女将さんが事前に予約を集めて下さり、初めて受けられる方や、何回も来てくださっているリピーターの方々に大変喜んで 頂くことができました。

10日(日)は横浜から市川さんご夫妻が参加。この日は場所を変えて「はらがま朝市クラブ」が運営する食事処「報徳庵」にて場所をお借りして、30名の方々に施術を行うことができました。また市川さんご夫妻は北原白秋の「童謡」を披露されました。 次回の相馬市訪問は8月25日~26日を予定しています。

松田つた子

6月8日、アンパンマン列車に乗って伊予の大州を出発し、夜京都で合流して車にて一路相馬市へ。9日に梅雨入りした東北地方、あいにくの雨でしたが、9日早朝、無事相馬市に着きました。
「はらがま朝市クラブ」にご挨拶をして、天之御中主命様の相馬中村神社にお参りしました。おみくじは小吉でした。津波被災地を案内してもらってから、「みなとや」さんで、おいしいおいしい復興どんぶりをいただきました。 午後1時より、大野台第2仮設住宅にて、鍼、灸、整体、マッサージを施術させて頂きました。8回目という事もあり、おなじみの方から、初めての方と36名の方々が参加して下さいました。老若男女、笑い声に包まれながら、みなさん体がとても軽くなったと感謝され、次回を心待ちにして雨の中を帰って行かれました。
第2仮設住宅は交流の場にもなっており、福島弁やら大阪弁が飛び交って、いろいろな思いが語られました。施術の心地よい痛みの涙声、待っている人々の和やかな笑い声に包まれて、とても気持ちの良い時間が流れていきました。 お風呂で汗を流してから渡邊さん宅へ。それから町へ繰り出してまたおいしい夕食をいただきました。お昼も夕食も量の多さにビックリです。夕食を堪能してからまた渡邊さん宅でしばしの歓談をして眠りにつきました。 10日、朝食をしっかりいただいてから、小雨の中、「喰う処報徳庵」に行きました。「はらがま朝市」もあり、すでに多くの人々が集まっていらっしゃいました。市川夫妻も合流して、昼の時間帯には、お二人のミニコンサートも開かれました。今回は「喰う処報徳庵」の奥に3台のベッドを準備して、施術と同時進行で、朝市と昼食会とミニコンサートが順番に進んでいきました。食事をしながら整体等を見ていらした方が「初めてですが」と言って整体を受けられたり、おなじみの方々は昨日と同様に、皆さん体がとても軽くなったと口々に言われて喜んで帰られました。この日も30名の方が来てくださいました。 報徳庵の昼食もたいそうボリュームがあり、ミニコンサートを聴きながらの楽しい食事会でした。市川夫妻の優しい歌声と軽妙なトークに笑いながら、贅沢な時間でした。最後に「はらがま朝市クラブ」の方と一緒に皆さんと記念写真を撮ってから帰路につきました。帰りも偶然アンパンマン列車でした。列車の中は、なんと「ばいきんU.F.O」でした。あっという間に家に着きました。ありがとうございました。

レポート報告 加古川圭司

当会名誉顧問・松川晃月師との御縁から「良心、市民の会」発足当初より活動を応援してくださっている漫才師の宮川大助・花子さんをはじめ、大花ファミリーの皆様が総勢11名で岩手県大槌町を訪ねてくださいました。
昨年11月、アチェの子供達が大槌町を訪問した際に応援同行してくださった大花ファミリーの皆様。その日以来、日々多忙なスケジュールの中でも大槌町への訪問実現をいつも想ってくださっていた大助・花子さん。
みんなの念願叶った6月11日、震災から昨年12月に営業再開されたショッピングセンター「マスト」にて1時間40分に及ぶ漫才公演をしてくださいました。13時開演の舞台でしたが、2時間前の11時から大助・花子さんを待ってくださっているおばあちゃんもいて、平日の昼間にも関わらず約300人の大槌町民の皆様が舞台を鑑賞してくださいました。
公演が終わりに近づいたころ、一人のおじいちゃんが舞台に上がりました。大震災から1年3ヶ月を迎えた日に復興に向けて勇気をくれた大助・花子さんに、町民を代表して一言御礼を述べたかったとのこと。その場に居るみんなが感動を覚えて、笑いと涙の最高の舞台となりました。
大助・花子さんをはじめ、大花ファミリーの皆様、また今回の漫才公演成功を舞台裏で支えてくださった全ての皆様に心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

平成24年 6月20日 おらが大槌復興食堂 岩間敬子

6月11日、大助・花子ファミリーの皆様とお会いして、お二人とお話が出来たことを感謝しています。ちょうど震災から1年3ヶ月目でした。 花子さんと店のお話、震災の時のお話をしていて、私の父親が未だ行方不明だと伝えると、花子さんが私の顔を見て「ふと帰えって来る気がするよね。漂流してどこかの島で生活しているかもしれない。記憶喪失になっているかもしれないと思うよね。諦めたらあかん!家族なんやから」とおっしゃった時、私は自分の気持ちを見透かされたようで、言葉が無く、うなずくだけでした。花子さんが私の手を握って「それでいいんよ。頑張りや」と言ってもらえた事が、震災から今まで自分がしてきたことを良かったと思え、支えになっています。
1年が過ぎて、諦めなきゃいけないのかな?でも諦めきれない気持ちでどうして良いのか整理がつかないままいた私に、花子さんの言葉は温かく嬉しかったです。
私、お父さんを見つけて、一人残されたお母さんに会わせるまで諦めません。私にはそれしかしてあげられませんから。
お二人にお会いできて本当によかったです。ありがとうございました。

アチェ訪問レポート

人は想いがあれば、なんでもできる。


レポート報告 李澤玄

今回の訪問は「日本語を日本語ネイティブが教える事」を今年度の方針に掲げた事への環境整備が主たる目的でした。アチェの日本語の先生への講習を行い、その体験を今後の活動に活かして行くためにMGMP(日本語教師連盟)の方々と「日本語で話しませんか」を開催して、晃月スクールでは日本語コースの子供達への授業を行う予定を立てアチェに行きました。
スケジュール調整の関係で予定通りには日程を進める事が出来ず、晃月スクールでの授業は一回のみ、「日本語で話しませんか」は先生よりもその生徒達の参加が多く日本語のみでの進行が出来ない中で7回開催する事になりました。また、当初の予定にはなかったメダンでの日本語スピーチ大会に参加する生徒へのスピーチ指導と晃月スクール卒業生への授業を行いました。

また今回の訪問では、奨学金受給者宅をこれまでの訪問時以上に多く訪問しました。受給している子供達やその保護者の方々にお話を聞かせて頂き、それぞれの夢に向かって頑張っている子供達に感動しました。津波に襲われた時のお話も聞かせて頂きました。大きな悲しみに打ちひしがれた日々を乗り越え、前を向いて生きて行く力強さを感じる事が出来ました。
日本語の教育、奨学金受給者訪問以外では、アチェのスタッフとのミーティングや個人面談を行い、これまで以上に相互理解を深め、今後の活動の方向性についての共通理解を高める事が出来ました。また、アチェの日本に関連する活動を行っている団体との交流を深める事が出来、三週間の日程が短く感じる訪問でした。

晃月スクールでの日本語授業はゲームをしながら日本語を楽しむ授業を行い楽しい時間を過ごしましたが、一回しかスケジュールを割り当てられませんでした。 訪問した期間はインドネシアでは学年末に当たり、各学校で進級試験や卒業試験が行われている期間で、生徒達は試験の勉強や試験そのものに時間を割かれているため授業への参加者が少ない状況でした。この期間の開講は今後検討しなければならない課題です。
晃月スクールは、この期間に新入生の登録を行っています。今年の新入生は、現在日本語コース43名、英語コース57名、合計100名が登録しており、5月21日から新入生の授業が始まりました。毎年中途で退校していく子供達も多くいますが、多くの生徒達が卒業まで共に学ぶように、今後の晃月スクールの取り組みを改革していく事を先生達とのミーティングで話し合いました。カリキュラムを充実させ、習熟度に応じた柔軟なクラス替えなどを進めて行く事等を行っていきます。
新たな取り組みとして日本語ネイティブの派遣を進めるプログラムを今年度の方針としていますが、この事を活用してより多くの子供達に日本への関心を持ってもらう取り組みを行います。また、晃月スクール開催拠点を増やし、現在関心はあるが経済的に参加困難な地域の子供達が学べる場を設ける事も考えています。先生の負担は増加しますが、アチェの子供達の将来のためになると先生達からも賛同を得ています。今年の変化は、アチェの人々が求める内容を多く取り込み、アチェの子供達の夢の実現への選択肢増加に寄与できるものになるでしょう。

アチェで日本語を教えている先生の団体であるMGMPの先生に日本語で話をする事を目的に行うと聞いていたこのプログラムですが、各先生の生徒達もたくさん参加していました。中には日本語を勉強して4、5ヶ月の生徒もいました。参加者のレベルに大きな差があるので日本語のみで会話をする会にすることは出来ませんでした。
初日は自己紹介などをする事で各自のレベルを把握し、その後の進め方を考える事にしました。二回目以降も試行錯誤を繰り返しながら全7回開催しました。結論から言うと、全く思い通りには出来ず、参加して頂いた先生や生徒達に迷惑を掛けてしまったと反省する内容になってしまいました。それでも後半の3回ほどは楽しくやれたと思います。先生は専任の教師ではなく、他の仕事と掛け持ちで学校での日本語授業を行っている方や、主婦の方が時間を作って教えている方々です。中にはボランティアで日本語教師をされている方もいます。ほぼ全員が日本で住んだ経験のある方々です。研修生として、あるいはご主人が仕事や勉強で日本に滞在する時に一緒に来られた方々です。6月後半から当会事務局長の宮下健一さんがアチェへ日本語を教えに行きます。今回の私の経験を活かして、次回は先生と生徒をレベル別に二つのクラスに分け、より良いプログラムにします。アチェの日本語のレベルアップに寄与して行きたいと考えています。
日本語教師としてアチェに行く機会を持てる方がいらっしゃれば、当会にご連絡下さい。長期短期を問わずアチェで日本語を教える日本語ネイティブの方を募集しています。最短は3週間です。よろしくお願いします。

メダンで開催される日本語スピーチ大会に晃月スクールで日本語を勉強しているヨランダさんが参加するとの事で急遽スピーチのレッスンを行う事になりました。スピーチ大会は5月5日の開催、レッスンは4月30日から行いました。金曜日までの五日間の予定でレッスンを始めました。本人が書いた原稿をファルロジ先生が添削していました。後で聞いたのですが練習は私と始めるまで行っていなかったそうで、それほど急遽参加が決まったそうです。
原稿の内容は本人が書いたものなので分かってはいるのですが、分からない日本語の単語も多いという状況でした。読む事、意味を理解する事から話す事、原稿を見ずに話せる事の順に進める事にしました。ヨランダさんは熱心でレッスン後も晃月スクールでの勉強に参加しています。二日目、三日目になると前日とは見違えるような読み、話が出来るようになっていました。家で努力している事が分かります。四日目に明日(五日目)は午前中にメダンに向けて出発する事になったと聞き、予定していた五日目のレッスンが出来なくなりました。その為スピーチ全体を覚えるためのレッスンが出来ず大会に臨む事になってしまいました。
大会はメダンの北スマトラ大学で行われました。日本領事館の総領事を始め、多くの来賓や学生が会場に溢れ、活気に満ちた大会でした。参加者は13名で10名は北スマトラ大学の日本語学科で日本語を勉強する学生です。残りの3名はアチェからの参加者で、その中にヨランダさんがいます。北スマトラ大学の学生は全員が原稿を見ずにスピーチしていました。しゃべり方や体を使った表現も素晴らしいスピーチばかりでした。アチェの3名は全員が原稿を読むスタイルです。レベルの差は歴然でした。
その中で、審査員からの配慮だと思いますが(アチェからの参加は今回が初めて)アチェからの参加者の中から1名の特別賞を与えて頂ける事になりました。ヨランダさんが特別賞を受賞しました。スピーチの後に審査員から質問が3つあったのですが、北スマトラ大学の学生も質問に答える事が出来ない人がいる中、彼女は二つの質問に答える事が出来たのが授賞の要因でしょうか。彼女は本当に大喜びしていました。彼女がこれからも日本語の勉強に励む良いキッカケになったと思います。

孤児たちの今

友達がたくさんいるので寂しくない。

プトリさんは小学6年生。2004年の大津波の時は3歳でした。地震発生時おばあちゃんと山の方に居て、ラビラビ(小型乗合バス)に乗って家に帰ろうとしましたが、渋滞のため帰れずに助かりました。しかしながら、家に居たお父さんお母さんは亡くなってしまいました。
現在は、二人のお兄さん・おばあちゃんとの4人暮らし。長男、次男が十代の頃から生活を支えています。今住んでいる家は、津波前に家があった場所にサウジアラビアからの支援で建てられたものです。
もうすぐ中学生になりますが、中学校では寄宿舎に入る予定で月に2回しか家に帰れないそうです。でも友達がたくさんいるので寂しくないと言っていました。将来の夢はお医者さんになることだそうです。


9月に予定している晃月スクール第三期生卒業式、設立五周年記念式典参加ツアーの下見としてサバンに行ってきました。サバンはバンダ・アチェからすぐ近くのリゾート島(島の名前はWeh島)。一緒に行くファルロジ君は初めてなので楽しみだと言っていました。
サバンに着いて早速ホテルへ。コテージ、海のきれいさが眩しい。コテージはお手軽価格で近くにきれいな海。ゆったりした時間の流れ。お酒も飲める。
サバンで利用したコテージはTVも無く読書をしました。電気が暗くて老眼には少し厳しかったが、ゆったりした時間を読書で過ごすのも良いものです。
早朝は自然光で読書。サバンは本当に海がきれいでゆったりするには良い環境。お酒はファルロジ君から聞いていたのとは全然違ってバンダ・アチェと変わらない。アチェの人にとっては違うのかな?という程度です。
サバンはきれいな海を持っている。しかし、津波と温暖化の影響で水深5~10メートルのサンゴの多くは死んでしまったそうです。その為、魚も少なくなっていると地元の方。船底にガラスを敷いた船で海を見たが沢山の魚が水中を行きかっている様子が覗えました。

以前はどんな凄い眺めだったのだろう?確かにサンゴは色を無くし、生命を感じ取れるものは滅多に見られませんでした。
サバンには日本軍の軍事施設跡が多く残っているそうです。その内の2か所を見てきました。防空壕と砲門の跡。日本人が住んでいた住居跡。日本人がこの遠く離れている地に確かに存在していたのです。サバンには日本人との混血の人が住んでいるとも聞きました。私が見た人たちの中にはそう感じ取れる人はいませんでした。アチェにはポルトガル人、インドネシア全体ではオランダ人の血の流れを持つ人も多いそうです。同じ島国ながら日本との違いを感じました。
サバンにはインドネシアの西端があります。東経約95度。私の住んでいる地域とは40度の差があります。“地球一周の9分の1の距離だ”と、その時感じました。地球一周分の距離を体感できた様に感じました(笑)。北緯は約5度と表示されています。地図上で見た(緯度を見ていれば分かる事だが)感覚より赤道に近い。スマトラ島はもっと南北にも長いイメージを持っていました。

このコーナーでは、私たちと一緒にインドネシア・アチェ州での活動を支えてくれている仲間のメッセージをお届けします。

今号は、晃月スクール英語教師のMex Wahab(メックス・ワハブ)さんです。メックス先生は、前号で紹介させていただいた日本語教師サラさんのお兄さんです。高校時代、米国・コネチカット州で1年間の留学経験を持ち、培われたアメリカンスタイル&ユーモアでの授業は生徒達にとても人気があります。フットボールが大好きで、いつも自然体のメックス先生。子供達に自らの海外経験を語り、将来への熱い情熱をもってレッスンに取り組んでくれています。

私達が今一緒に居てともに勉強できていること…

晃月スクールで英語を教えるようになって3年が経ちました。光陰矢の如し。
一年目の生徒達は、既に大学に通っている子もいれば、大学進学に向けて準備をしている子もいます。最近耳にしたのですが、彼らのうちの何人かが自信をもって、自らの特技を英語と表現しているようです。とてもうれしいニュースでした。彼らの益々の健勝と今後の活躍を祈っています。
近い将来、卒業生達が晃月スクールで後輩を教えてくれるようになると信じています。ですがその前に、生徒達にはアチェやインドネシア国内に留まらず、もっと海外を見るように話しています。将来有望な彼らにとって、実際に海外に行って自らの目で見ることの重要性を思うからです。
ご存知のように、2012年4月11日M8.7の巨大地震がアチェを襲いました。地震が発生したちょうどその時、レッスン中で生徒達と一緒に居ました。私達は直ぐに教室から外へ出て校庭に避難しました。他のレッスンの生徒達もみんな集まりました。揺れが激しくなるにつれて、生徒達は不安な表情を浮かべて互いに抱き合ったり祈りを捧げたりしていました。2004年の地震と津波を連想したに違いないと感じました。
その時私は、生徒達にパニックを起こさずにとりあえず校舎などの建物から離れるよう誘導することにつとめました。地震が止むやいなや、生徒達の親御さんや親類の方が子供達を迎えに来ました。
その様子を見届けて私も学校を離れることにしました。 晃月スクールのあるプカンバダ第一中学校は海岸からそれほど遠くはありません。私は、親御さんが迎えに来られないと思われる生徒2人とともに学校を離れましたが、道路は車やバイクなどで大渋滞、容易に家に辿り着くことができませんでした。誰もが皆できるだけ海から遠い場所に向かって避難していました。後に生徒達がみんな無事であることが分かり本当に安堵しました。
今でもふと思います。あの日、もし津波が来ていたらどうなっていただろうか・・・それは誰にも分かりません。ただただ、私達が今一緒に居てともに勉強できていることを神様に感謝しています。この日の事が、私の晃月スクールにおける一番心に残っている思い出です。

Mex Wahab

心と心がふれあう関係を目指して、活動を支えて下さっている皆様を紹介する「私たちの絆」。
今号は、横浜市戸塚区にお住まいの市川守さんを紹介させていただきます。

市川 守さんのメッセージ

共に生きていくことの意味。
2011年3月11日、東日本大震災発生。「良心、市民の会」の活動が東北方面にも向けられ、活動内容もPAC通信などで伝わってきました。当時、私は体調優れず、労働奉仕がすぐ出来ずにいましたが、東北へ何らかの手助けに行きたいと願っておりました。
福島県相馬市で鍼灸奉仕が定着してきて好評である・・という話を聞くに及んで、体調万全ではなくても「良心、市民の会」の仲間と共に働こう、と決心しました。そして2011年11月、福島県の相馬市を初めて訪れましたが、震災の爪痕を見て言葉を失いました。只只唖然とするだけでした。
復興支援にと毎週行われていた原釜朝市に集まった方々が聞いてくださるというので歌を歌いました。家内と二人で童謡や懐メロを歌いましたが、目を細め聞き入って下さる。客席の方々の胸中を思い、せめて一時でも和んで頂けたらと歌いました。その後、大野台の仮設住宅でも演奏させて頂き一緒に歌い1時間以上も延長し皆で元気に歌いました。しかし体調不備と徹夜の運転と2ステージこなし疲れてしまった私を見て、相馬の方々や「良心、市民の会」の仲間が心配してくださり、ホテルみなとやで仮眠を取る事になってしまいました。何か手助けにと思って来た相馬で反対に助けてもらいました。この親切が忘れられません。自分たちのことが大変な状況の中にあっても困っている人がいれば助けの手を差し出してくれた相馬の方々に感謝です。雲間から時々顔を出す月が松川浦の海面を銀色に揺れて映る美しい光景を見ながら、暖かい真心の布団にくるまって、ゆっくりと休ませて頂いたおかげで、徹夜のドライブ無事に横浜へ帰りました。
2012年3月、6月と再び「良心、市民の会」の相馬市での鍼灸活動に沿わせてもらい、歌の提供をさせて頂きました。歌を聞いて下さる、一緒に歌って下さる笑顔に触れられて最高に幸せですし、歌っていない時間は鍼灸に来られた方々にボディワークをさせて頂いたり、受付けや毛布を畳んだりの用事などをしています。順番を待つ方々とお話ししたりするのですが、こちらが元気をもらうばかりで、一体、いつになったら受けた親切に恩返しできるやら、と微笑みながら、また次回の活動にも参加できるよう願っています。

Kakoji's コラム

このコーナーでは私・加古川圭司こと「カコジ」が日常の体験談や感じたことをお伝えしていきます!

絆と友好の証

昨年11月18日、アチェの子供達の大槌町訪問を記念して、大槌の町の花「ツツジ」を植樹しました。
今回の大助・花子さんの大槌町訪問時、ドキドキしながらツツジを見に行きました。植樹後に東北の厳しい寒さを迎えて少し元気がなくなっていたようですが、大槌町のみんなの日々のお世話もあり、なんと新芽が生えていました!今回の訪問を喜んでくれているかのようでとてもうれしかったです。 アチェの子供達と大槌町の仲間、当会メンバーのみんなの想いを受けて、今後の東北復興を象徴する綺麗な花を咲かせてくれる日が来ることを祈っています。

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